大きな音でもないし、
誰かが騒いでいるわけでもない。
それなのに
「なんかもう無理…」と感じてしまうほど、
小さな生活音にじわじわ体力を奪われる日があります。
今日は、そんな“音疲れ”が起きるしくみについて
お話しします。
小さな音なのに、なぜか気になってしまう日
共感体質には
「説明しづらい音のしんどさ」があります。
音が大きいわけじゃない。
でも、気になる。気になって仕方ない。
集中できないし、そわそわするし、
眠れないことすらある。
私の場合、夏は特に生きにくい季節です。
クーラーとサーキュレーターの小さなモーター音が、
なぜか妙に気になってしまう日があります。
止めたいけれど、止めたら暑い。
「涼しさを取るか、静けさを取るか」
という謎のジレンマに陥りがちです。
これは決して“神経質だから”ではなく、
脳がうまくフィルターを働かせにくい日がある、
というだけのことなのです。
共感体質が“音疲れ”しやすい理由
脳には本来、
「必要な情報だけを通し、不要なものは遮断する」
そんあフィルター機能があります。
調子が良い日は、このフィルターがしっかり働き、
小さな音は自動でスルーされていきます。
ところが
疲れている日、
心のバッテリーが残り少ない日、
刺激が多かった日、
このフィルターの性能が落ちてしまいます。
すると、本来なら無視できるはずの
音の“細かい部分だけ”が
妙に際立って聞こえるのです。
これを私は「音の粒」と呼んでいます。
音量が大きいわけではなく、むしろごく小さい。
でもその小さな音だけが、
なぜか浮き上がって聞こえてしまう。
脳が“重要ではない音”に
フォーカスしてしまう状態です。
音そのものが問題なのではなく、
“処理する側(脳)の余白”が足りないから
負担が増えるというわけです。
音疲れの正体は、“刺激の入口”の渋滞
共感体質は、音だけでなく、
気配や空気、他人の動きなど、
多くの刺激を同時に受け取りやすい傾向があります。
その結果、刺激の入口に詰まりが起きると、
小さな音でも脳の処理が
一気に追いつかなくなります。
・音の「量」
・音の「密度」
・音が「途切れない時間」
・情報が多い人の話し声
・複数の音が同時に存在する環境
これらが積み重なると、
たとえ静かなオフィスでも、
なぜか“ざわざわ”した世界だと
そう感じてしまう日があります。
これは異常でも、弱さでもなく、
「今日は脳のフィルターが弱っている日」
というだけなのです。
どうやって回復する?——静けさの儀式
音疲れを感じた日は、音を「消す」より、
音の入口を細くする意識が大切です。
・ノイズキャンセリングを“休憩”として使う
・耳栓を10分だけつけて脳を休ませる
・できる範囲で静かな場所に避難する
・帰宅後は、意図的に“無音に近い時間”を作る
これだけでも、脳が驚くほど回復します。
共感体質にとって
静けさはぜいたく品ではありません。
「自分を保つためのインフラ」なのだと、
最近は思うのです。
おわりに
音に敏感な日は、たいてい心も疲れています。
でもそれは「弱っている証拠」ではなく、
日々たくさんの情報を拾っている証拠でもあります。
静けさに戻ると、
ようやく“自分の声”が返ってくる。
そんな日があってもいいのだと、
やさしく受け止めてあげたいものです。