「静かな場所に行きたい」
「音がないとホッとする」
そんな感覚を持つことがあります。
でもそれは、音が嫌いだからでも、
神経質だからでもありません。
刺激を受け取る量が多い脳が、
自然と静けさを求めているだけ。
今日は、その内側のしくみを言語化してみます。
無音は「好き嫌い」ではなく、状態を知るサイン
私にとって無音は、
常に必要なものではありません。
ただ、ひとつだけはっきりしているのは、
無音を求めるときは、たいてい疲れている。
特に寝る前。
いつもは気にならない音が気になり始めると、
「今日は思ったより消耗していたんだな」
そう気づきます。
共感体質の私は、
ストレスや疲れをその場で自覚するのが
あまり得意ではありません。
だから代わりに、音への感受性の変化が、
疲れのバロメーターになっていました。
刺激を処理しすぎる脳のしくみ
音は、ただの振動ではありません。
話し声、物音、生活音。
それらを無意識に意味として処理してしまうと、
脳の中では常に小さな処理が走り続けます。
元気なときは問題なくても、
余力が減ってくると、
その処理が一気に負担になる。
だから、
「音がうるさい」のではなく、
処理する量が限界に近づいているだけ。
無音は、
その処理を一時的に止めるための、
いちばん手軽な方法でした。
音が刺さる・気になるという感覚は、
「回復」の話というより、刺激の入口の話です。
集中したいとき、無音を選ぶ理由
疲れているときだけでなく、
集中したいときにも、私は無音を選びます。
理由はシンプルで、
一点集中型の思考だから。
刺激が多いと、
意識が分散してしまう。
音があるだけで、集中のエネルギーが削られます。
無音に近い状態だと、
思考がまっすぐ一点に向かい、
結果的にいちばん速く、深く進める。
無音は、
私にとって集中の最短ルートでもありました。
「静の回復」と「動の回復」
音楽やカラオケが嫌いなわけではありません。
むしろ、気分転換になる日もあります。
ただ、それは別の回復。
- 静の回復:無音・刺激遮断・神経を鎮める
- 動の回復:音楽・発散・エネルギーを循環させる
どちらが必要かは、その日の状態次第。
無音は「正解」ではなく、
回復の選択肢のひとつなのだと思います。
無音を求める自分を、責めなくていい
無音を欲するのは、
弱さでも、逃げでもありません。
それは、
これ以上刺激を入れないほうがいいという
身体と脳からの、静かなサイン。
共感体質の人は、
世界を受け取る入口が広いぶん、
回復にも工夫が必要です。
無音は、自分を守るためのインフラ。
そう考えられるようになってから、
「静かにしたい自分」を、
ようやく肯定できるようになりました。
おわりに
音が気になる日は、
たいてい心も少し疲れています。
でもそれは、
壊れている証拠ではなく、
ちゃんと感じ取れている証拠。
無音が落ち着く理由を知ることは、
自分の扱い方を知ることでもありました。
今日も静けさが、
必要なぶんだけ、そばにありますように。