#47 中継窓口係 | 「あとは上手くやっといて」の終着駅にされていた頃

共感体質シリーズ第2章のアイキャッチ画像

「これ同期のみんなに共有しといて」
「後輩の意見をまとめて、上に報告してくれない?」

公式なリーダーでもないし、
手当が出ているわけでもない。

それなのに、
なぜか上からも下からも連絡が集中し、
気づけばあらゆる調整を
一人で背負わされている。

周囲からは
「あの人に言っとけば、どうにかなるでしょ」
「あとは上手くやっといて」という、
無言の丸投げの空気が流れてくる。

そんな組織の「非公式な中継窓口」に、
いつの間にかされていませんか?

かつての私は、
まさにこの役割を「無意識に」、
そしてどこか自ら進んで引き受けてしまっていました。

共感体質が「中継窓口」になってしまう3つの罠

なぜ、私たちはこの割に合わない、
非公式の窓口業務を
自ら買って出てしまうのでしょうか。

そこには、
共感体質特有の「脳の癖」と、
生き抜くための戦略が絡み合っています。

① 摩擦を減らすための「翻訳機」になってしまう

上司からの不躾な指示や、
現場からの愚痴混じりの要望を
そのまま通すと、
お互いに反発が生まれ、
場の空気が悪くなることが
「見えて」しまうのです。

だから、自分がクッションになり、
相手が受け入れやすい、
角の立たない言葉へと
わざわざ脳内で「翻訳」して伝えてしまいます。

② 「タスクを早く終わらせたい」という効率主義

みんなのグダグダしたやり取りを見ていると、
その停滞した空気や、
いつまでも終わらない非効率さに
脳のメモリが削られてしまいます。

私が間に入って
テキパキと交通整理をした方が、
圧倒的に早く場が落ち着く。
という防衛本能に近い判断から、
つい手が動いてしまうのです。

③ 周囲の「甘え」を回収してしまう

「あの人に言えば確実」
「あの人がまとめてくれる」
という周囲の甘えや丸投げを、
持ち前の責任感の強さゆえに、
すべて正面からキャッチしてしまいます。

頼られている充実感と、
断ることで生まれる気まずさを天秤にかけ、
引き受ける方を選んでしまうのです。

支払っていた「隠れたコスト」

しかし、
この非公式な中継窓口の運営には、
すさまじい「隠れたコスト」がかかっています。

窓口業務の本質は、
ただの右から左への伝言ゲームではありません。

双方のワガママ、愚痴、ニュアンスのズレを、
すべて自分というフィルターに一度通して、
綺麗に整形して出力する作業です。

この「板挟みの精神的コスト」だけで
脳のメモリは常に100%になり、
自分の本来の仕事に手を付ける頃には、
心身ともにボロボロになっています。

一番の恐怖は、
「公式な役職(権限や手当)」がないのに、
「責任」だけを背負わされている歪さに、
消耗しきるまで気づけないことにあります。

痛みの先で手に入れた「攻略の果実」

ただ、この過酷な中継窓口としての暗黒期は、
決して無駄な時間ではありませんでした。

振り返れば、
あの激しい板挟みを経験したことで、
「散らばった意見を構造化して上に伝える力」や
「多角的な視点で物事を着地させる調整スキル」は、
恐ろしいほど伸びました。

痛みを伴う経験ではありましたが、
それは今、
私を助ける大きな武器(攻略の果実)になっています。

だからこそ、
今の私はあの頃とは違う戦い方をしています。

周囲から
「あ、またとりまとめの中継窓口に
 されそうな空気が流れてるな」
と察知した瞬間、一歩引いて、
自分の心の中に設置した
防衛センサーを働かせるのです。

「良かれと思って」
「自分がやった方が早いから」と、
メンテナンスもせずに
窓口を24時間開放し続けるのは、
ただの自己犠牲です。

伝えるべき義務は果たします。
けれど、過剰な翻訳や、
頼まれてもいない板挟みのクッションに、
自ら進んで立候補することはやめました。

「これは、本当に私が今担うべき役割だろうか?」

小さな違和感のうちにそう問いかけ、
窓口のシャッターを静かに下ろすこと。
それこそが、
自分をこれ以上の摩耗から守り、
心地よく日常を運用していくための大切な攻略法なのです。