#42 距離バグの誤解|明るさと無遠慮は別物

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私はずっと、
「陽キャは話してみないとわからないな」
そう思っていました。

第一印象は明るくて、
フレンドリーで、
人懐っこそう。

でも実際に関わってみると、
心地よい人もいれば、
なぜか一気に疲れる人もいる。

その違いが、
ずっと言葉にできずにいました。


よくある誤解:「距離が近い=コミュ力が高い」

世間ではよく、
こんな要素が一括りにされます。

  • 明るい
  • 話しかけやすい
  • 距離が近い

そして、それらはまとめて
「コミュ力が高い」
「陽キャ」
と呼ばれがちです。

でもこの中には、
少し性質の違うものが混ざっています。

それが、
無遠慮です。

距離が近いことと、
人との関係をうまく築けることは、
同じではありません。

私が身につけたかったのは、「距離の調整力」

いわゆる根明修行をしていた頃、
私が目指していたのは、
「馴れ馴れしさ」ではありませんでした。

相手の話を拾うポイント。
懐に入る角度。
場に合わせたフットワークの軽さ。

それは、
距離を一気に詰める力ではなく、
距離を扱う力だったと思います。

近づくか、やめておくか。
もう一歩踏み込むか、引くか。

その判断を、
相手の反応を見ながら調整すること。

私にとっての「コミュ力」は、
そこにありました。

距離バグの人が定義している「明るさ」

一方で、
距離バグと呼ばれる人たちが
「明るい」と思っている振る舞いは、
少し違います。

ここでいう「距離バグ」とは、
相手の反応を待たずに、
距離だけを一方的に縮めてしまう状態のことです。

距離を詰めること=仲良くなること。
近いほど、フレンドリー。

そういう前提で、
関係を始めてしまう。

でもそこには、
相手の反応を確認する工程がありません。

引く、という選択肢がないまま、
距離だけが縮んでいく。

本人に悪気がなくても。

その結果、
明るさは、
ときどき侵入に変わります。

「話してみないとわからない」と思っていた理由

私が、
「陽キャは話してみないとわからない」
と感じていたのは、
ここに理由がありました。

私の理想の陽キャは、
最初から距離を詰めません。

相手を見て、
場を見て、
空気を感じてから動く。

合わなければ、
無理に近づかないし、
自然に引くこともできる。

だから、
第一印象では案外目立たない。

それでも一緒にいると、
どこかキラキラして見える。

私が惹かれていたのは、
距離の近さではなく、
考え方の向きだったのだと思います。

明るさと無遠慮は、別物

私は、
陽キャが苦手なわけではありません。

むしろ、
底抜けに明るい感じや、
前向きな思考の方向性は、
好きなほうです。

ただ、
無遠慮な距離の詰め方が、
苦手でした。

距離を詰める力より、
距離を調整できる力のほうが、
共感体質の私には、
ずっと重要だった。

距離バグの正体

距離バグは、
性格の問題ではありません。

明るさの定義が、
少しズレているだけ。

「陽キャ」「陰キャ」では、
切れない話です。

これまで感じていた違和感は、
私の感覚が過敏だったからではなく、
構造を見ていたからだったのだと、
今は思っています。