「この話、ここだけの話なんだけどさ…」
そう前置きしながら、
あちこちの情報を集めては、
あちこちへと“共有”していく人がいます。
悪気はないのかもしれないけれど、
秘密がどんどん薄まっていき、
境界線がスカスカになっていくタイプ。
今回は、そんな彼女と、
どう距離をとるかに悩んだときの、
共感体質なりのつき合い方のお話です。
境界線スカスカとは
私のまわりにもいました。
事前に「絶対に話さないでね」と伝えていても、
後日さりげなく本人の耳に届いてしまう人。
本人いわく、
「うっかりしててさ〜」
「つい話しちゃった」
と悪びれた様子は微塵もありません。
どうやら、本人の中では“秘密のライン”が
かなりざっくりしているようです。
一方で、情報収集能力は高く、
あちこちから話を聞き出してくるのも得意。
コミュニケーション力が高いからこそ、
「この人に話すとすぐ広まる」という
独自ネットワークが出来上がっていました。
“共感体質”から見ると、なぜ危険度が高めなのか
共感体質にとって、「秘密」や「境界線」は、
とても大事な安心材料です。
誰にどこまで話すか、
自分の中で線引きをしておかないと、
心が落ち着きません。
ところが、“情報共有マシン”タイプは、
そこがかなりスカスカ。
- 誰かの悪口を聞くと、
その印象がそのまま張りついてしまう - Aさんから聞いた愚痴を、
そのままBさんに伝えてしまう - 自分の感情と他人の感情の境界もあいまい
そんな具合に、情報も感情も
すべて「自分ごと」として受け取り、
そのまま外側に放出していくイメージです。
私は、そこまで深く関わってはいなかったので、
直接的な被害はあまりありませんでした。
それでも、
「この人に何か渡せば筒抜けになるだろうな」
そんな予感は、
関わるたびにじわじわと強まっていきました。
「危険だから避ける」ではなく「渡さないものを決める」
このタイプと出会ったとき、
共感体質の私がまず決めたのは、
距離そのものよりも「渡さない情報の範囲」でした。
具体的には、こんなルールです。
- 自分のプライベートな話は基本的にしない
- 他人の評価や愚痴は一切渡さない
(絶対に混ざらない) - 誰かの秘密や、
まだ共有したくない計画は話さない
表面上の会話や、仕事に関することだけなら、
そこまで危険度は高くありません。
むしろ情報通として、
場の空気を読んでくれる場面もあります。
「危ないから関わらない」ではなく、
「この人には、これ以上の情報は渡さない」
そう冷静に線引きする。
それが、共感体質としての
“安全な距離感”だと感じました。
被害妄想×情報共有は、静かに距離を置くサイン
さらにやっかいなのが、
被害妄想ぎみな気質 × 情報共有マシン
この掛け算です。
誰かの何気ない一言を、5割増しで受け取ってしまい、
「ひどくない?」
「あれって私のことだよね?」
と、どんどん“解釈上乗せ”をしていくタイプ。
その感覚自体は、
「物事の捉え方の違い」として面白く、
私は観察者として話を聞くぶんには
とても興味深く感じていました。
ただし、ここで一つ大事なポイントがあります。
- その解釈に、同意はしない
- 「そうなんですね」と受け止めるだけにとどめる
- 自分の評価や、別の人の話を混ぜ込まない
そうしないと、気づかないうちに
「一緒になって誰かの悪口を言っていた人」
として巻き込まれてしまう危険性があります。
「この人の中だけの世界」と割り切る
情報共有マシンタイプの人の話は、
その人なりの「世界の見え方」であって、
必ずしも事実ではありません。
もちろん、完全な嘘というわけでもなく、
本人からすると
「本当にそう見えている」のだと思います。
だからこそ、
「この人の中では、そう見えているんだな」
「これはこの人の解釈であって、
真実そのものではない」
と、心の中でそっとラベリングしておきます。
そのうえで、
- 人の印象は、
自分が直接関わったときの感覚で決める - 人づての悪口だけで、相手を判断しない
という “自分側の軸” を持っておくと、
他人の感情や解釈に飲み込まれにくくなります。
まとめ|「境界線スカスカな人」とのつき合い方
共感体質として私が学んだのは、
全部を拒否しなくてもいい。
ただし、大事なものだけは渡さない。
という感覚でした。
- 会話そのものは楽しんでもいい
- 情報通として参考にするのもアリ
- でも、自分や誰かを傷つける火種は渡さない
その線さえ守っていれば、
「境界線スカスカ情報共有マシン」とのつき合いも、
そこまで怖いものではなくなります。
共感体質は、つい
「人の話を真剣に受け止めすぎてしまう」
「秘密や感情を丁寧に扱いすぎてしまう」
ところがあります。
だからこそ、
「この人は境界線の感覚が私とは違うんだ」
と理解したうえで、
渡す情報の量と深さを調整していく。
それは冷たさではなく、自分と誰かを守るための
“やさしい境界線”なのだと思います。