#40 私は、私として生きていく

共感体質シリーズ第4章のアイキャッチ画像

ここまで書いてきて、
ようやく言葉にできるようになったことがあります。

それは、
「どうなりたいか」よりも、
「どう扱って生きていくか」の方が、
私には大事だった、ということです。


変わったのは、体質ではない

音に敏感なところも、
気配を拾いやすいところも、
考えすぎてしまうところも。

正直に言えば、
大きく変わったわけではありません。

共感体質は、
ある日突然なくなるものでも、
別の性格に入れ替わるものでもない。

変わったのは、
それらをどう位置づけるかでした。

「ちゃんとやろう」を手放した

以前の私は、
無意識に、
「ちゃんとやらなきゃ」を基準に生きていました。

空気を読む。
先回りする。
期待に応える。

それができない日は、
自分を責めて、
取り戻そうとして、
さらに消耗する。

今は、
その基準を置かなくなりました。

うまくやれているかより、
削れていないか

それだけを見るようになりました。

第4章でやってきたこと

この章でしてきたのは、
劇的な変化ではありません。

先回りをやめる。
回復を先に確保する。
ズレを定期的に確認する。

どれも、
共感体質を克服するための方法ではなく、
共感体質として生き続けるための選択でした。

体質は変えられない。

でも、
使い方は選べる。

その前提に立てたことが、
私にとっては、
いちばん大きな変化だったと思います。

治すのではなく、運用する

共感体質は、
治す対象ではありません。

壊れていたわけでも、
間違っていたわけでもなかった。

ただ、
扱いが難しく、
メンテナンスが必要な構造だった。

だから私は、
治そうとするのをやめて、
運用することにしました。

完璧を目指さず、
無理を前提にせず、
戻れる設計にしておく。

それだけで、
生き方は、
ずいぶん静かになります。

私は、私として生きていく

共感体質であることは、
私の一部です。

誇る必要も、
否定する必要もありません。

うまくいかない日も、
調整が必要な日もある。

それでも、
私は私として生きていく。

この体質と一緒に、
削れすぎないように、
静かに、現実を回しながら。

第4章は、
そのための、
私なりの実践記録でした。


ここまで読んでくださって、
ありがとうございました。

もし途中で、
「自分も同じかもしれない」と感じたなら、
それはもう、
十分な気づきだと思います。

答えを出さなくても、
変わらなくてもいい。

ただ、
どう扱うかを選べるということだけ、
持ち帰ってもらえたら嬉しいです。


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