もともと私は、
「ひとり時間」が好きなタイプです。
ひとりランチ。
ひとり映画。
ひとり会議。
自分の時間を、
ひとりで堪能することは、
これまでも意識的にやってきました。
それなのに、
なぜか疲れが抜けない。
ちゃんと休んでいるはずなのに、
回復しきらない感覚が残る。
そこで、ようやく気づきました。
「ひとりで過ごす時間」と、
「回復する時間」は、別ものだったということに。
「ひとりで過ごす」と「無音」は違う
ひとりランチも、
ひとり映画も、
ひとり会議も。
確かにひとりだけれど、
情報は入ってきます。
思考も動いています。
共感体質の脳にとっては、
それらは全部、
立派な「オン」の時間でした。
楽しいし、満たされる。
でも、
深いところでは、
回復しきっていなかった。
必要だったのは、
刺激も、役割も、思考も、
いったん全部止める時間でした。
「無音日」という発想
そこで私がつくったのが、
週に1日の「無音日」です。
この日は、
・人と会わない
・誰とも話さない
・誰とも連絡を取らない
予定を入れない日。
目的を決めない日。
ずっとぼんやりしていてもいいし、
本を読んでもいい。
断捨離して、
頭と空間を軽くすることもあります。
何をするかは、決めません。
「何も入れない」こと自体が、
この日の役割だからです。
誘いを断るための、感情ではない理由
無音日を守るとき、
私は自分の状態を説明しません。
「疲れているから」でも、
「ひとりになりたいから」でもなく、
ただ、こう言います。
「その日は、予定があるから」
無音日は、
気分で決める休みではありません。
「空いている日」ではなく、
すでに埋まっている日。
中身は、何もしない。
誰にも会わない。
誰とも話さない。
でも、それは立派なスケジュールです。
感情を理由にすると、
説明が必要になったり、
相手の反応で揺らいだりします。
予定として扱うことで、
交渉は起きません。
自分の内側を差し出さずに、
淡々と守ることができます。
無音日は、
「何もない日」ではなく、
「何も入れない日」です。
だから私にとって無音日は、
気分で左右される休みではなく、
踏み込まれないための「聖域」です。
回復は、コントロールしないほどうまくいく
無音日の中身は、
毎回違います。
何もしない日もあれば、
急に片づけがしたくなる日もある。
途中で昼寝して、
そのまま終わることもあります。
回復しよう、と頑張らない。
整えよう、と操作しない。
余白を用意して、
あとは任せる。
そのほうが、
結果的に、
ちゃんと回復していました。
会わない日を、先に予定に入れる
無音日は、贅沢ではありません。
共感体質が、
削れずに生きていくための、
最低限のメンテナンスです。
誰かと会う予定と同じように、
誰とも会わない予定を入れる。
話さない日を、
スケジュールに書き込む。
それは、
人を避けることではなく、
自分を守るための、
現実的な運用だと思っています。
次回予告
次回は、
調整をやめて、余白が生まれたあと。
次に必要だったのは、
「定期メンテナンスの日」でした。
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