#44 かわいそうは境界線を溶かす

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学生時代、
いつも自分を不幸だと思っている友だちがいました。

誰かと比べては、
「あの子はいいよね」
「私なんて」
と、ため息をつく。

当時は、
それに同調するのが普通だと思っていました。

思春期ですし、
悩みが多いのも当たり前。
友だちなら、話を聞くもの。
そう考えていたのだと思います。


共感することが、正解だと思っていた頃

話を聞く。
気持ちに寄り添う。
一緒に怒ったり、落ち込んだりする。

「それはつらいよね」
「わかるよ」
そう言い続けていました。

当時の私は、
それを優しさだと思っていました。

間違ったことをしていた、とは思っていません。
あのときの自分なりに、
誠実に向き合っていたのだと思います。

でも、なぜか疲れる関係だった

仲良しではありました。
嫌いなわけでもありません。

それでも、
会うとどっと疲れる。

会話のあと、
なぜかエネルギーが減っている。
そんな感覚がありました。

だから私は、
無意識のうちに、
会う頻度を選んでいたのだと思います。

はっきり理由を言葉にできなくても、
距離を調整していました。

「かわいそう」は、役割を固定する

今振り返ると、
その関係には、
役割がありました。

相手は、
ずっと「不幸な人」。

私は、
ずっと「聞く人」「支える人」。

どれだけ共感しても、
立場は入れ替わらない。
関係の形が変わることはありませんでした。

問題が解決しない、というよりも、
構造が変わらなかったのだと思います。

私が無意識に引いていた境界線

それでも私は、
完全に巻き込まれてはいませんでした。

会う頻度を調整する。
深刻な話題が続くときは、
少し距離を取る。

当時は意識していませんでしたが、
それは、
私なりの防御だったのだと思います。

卒業後、
自然と疎遠になり、
地元を離れてからは、
連絡を取ることもなくなりました。

今なら、少し違う見え方をする

今、同じ状況に出会ったら、
私はきっと、
こう思ってしまうかもしれません。

「この人は、
どこまで沈むのだろうか」と。

助けようとはしない。
引き上げようともしない。

沈む深さは、
その人自身の課題だからです。

これは冷たさではなく、
線を引いた結果の、
静かな距離感です。

かわいそうは、境界線を溶かす

「かわいそう」と思った瞬間、
相手の人生に、
一歩踏み込んでしまいます。

優しさのつもりで引き受けた役割が、
境界線を、
少しずつ曖昧にしていく。

共感体質にとって、
「かわいそう」は、
とても強力な侵入口です。

役割を降りるという攻略

あのとき距離ができたのは、
裏切りでも、
見捨てたわけでもありません。

ただ、
役割を降りただけです。

共感することと、
背負い続けることは、
別です。

今は、
そう区別できるようになりました。


感情から境界線を越えてくるケースだけでなく、
「正しさ」という形で、
静かに侵入してくることもあります。