すこやか生活

共感体質ですが、今日も生きてます。#1 根明修行、社会人研修編

根明ねあか修行、社会人研修編

共感体質の人は、相手に合わせることが呼吸みたいなもの。でも、時にその「合わせる力」が過剰に働くこともあります。

今回は、そんな“無意識の同調力”が暴走した私の社会人デビューの話を。

社会人になってすぐ、私は「仕事はコミュ力だ」と信じていました。

  • 根明ねあかな人ほど出世する。
  • 仕事するなら出世してなんぼ!

そんな幻想を真面目に信じた結果、私は“笑顔の修行僧”になりました。

これが地獄のはじまりとは知らず・・・

私は根明の友だちを完コピし、テンション・ノリ・語尾を徹底再現。
「たぶん彼女ならこう言う」で会話を組み立て、誰よりも明るく、そして誰よりも疲れ果てて帰宅しました。

おかげで初対面は怖くない。会話もスムーズ。
ただし、帰宅後の私は無言で天井を見つめるだけの生命体。

宇宙と交信できそうです。

今思えば、共感体質の“自動同調モード”が暴走していたのだと思います。
相手のテンションに合わせるたび、私のバッテリーは下限を知らず減っていきました。テンションを上げれば上げるほど、どんどん静かになっていく心。
気分は、底なし沼に沈み続ける苔石。

ただ皮肉なことに、対人スキルは爆伸び。

  • 某チェーン店にも負けない「スマイル」と無気力「能面」の瞬間切り替え可能!
  • 居酒屋で隣り合った見知らぬ方の全く興味のない話題でも盛り上がること可能!
  • 知り合いが一人もいないコミュニティーに突然ぶち込まれても雰囲気を壊さず生還可能!

根明にはなれなかったけれど、あの頃の私は、立派に社会に適応していた——演技力で。

あとがき

今では、「明るく振る舞う」ことと「自分を偽る」ことの違いが、ようやく少しわかるようになりました。無理をしてでも明るくなりたい時期があったからこそ、“自分の心のペース”を知れたのだと思います。

次回は、そんな私が「素の自分でも人とつながれるようになったきっかけ」について書こうと思います。共感体質が少しずつ自分軸を取り戻す、その途中のお話です。

第2話↓↓↓

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