見放すやさしさ
昔の私は、「人のために動くこと」が優しさだと思っていました。
誰かが困っていると、すぐ手を貸してしまう。
頼まれなくても「やっておきますね」と笑顔で引き受け、相手の負担を減らすことが、思いやりの証だと信じていました。
でもあるとき、気づいたんです。
その「優しさ」は、相手のためというより、“嫌われたくない自分”を守るための反射だったのかもしれないと。
部下のために本気で叱る上司や、残業してまで指導する先輩のほうが、よっぽど誠実で、ほんとうに優しかった。
私は、笑顔で「やっておきますね」と言いながら、その人の仕事や成長のチャンスを奪っていたんだと思います。
そのことに気づいたとき、少し恥ずかしかったけれど、もう無理に動かなくてもいいんだと思うと、どこかホッとしました。
今は、手を貸さずに見守るようにしています。
誰かが困っていても、すぐに動かず、
「きっとこの人は、自分で乗り越えられる」
そう信じて待つ。
必要なときに手を差し伸べればいい。
それが、私にとっての“誠実な優しさ”になりました。
あとがき
昔は、優しさを“行動”だと思っていたけれど、今は“信頼”の形をした静かな優しさがあると知りました。
見守る余白の中で、相手の力も、自分の心も、ちゃんと育っていく気がします。
第7話↓↓↓

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