「つむぎって、あの人の扱いが上手いよね」
「よくあんなに優しく向き合えるね」
周囲からそんなふうに声をかけられるたび、
私は心のなかで、
言葉にできないほどの
大きな違和感を抱えてきました。
「上手く扱っている」つもりも、
「優しく」しているつもりも、
一ミリもないからです。
むしろ私の中では、
その相手は「期待を損切りした相手」。
仕事に支障が出ないよう、
ただ淡々と
「エラーが起きないための処理」を
しているだけなのです。
それなのに、
なぜか相手のほうは、
私を「最高の理解者」であるかのように慕い、
どんどん距離を詰めてくる。
私があしらおうとすればするほど、
相手のなかの
「お気に入り登録」が強固になっていくような、
そんな奇妙な現象──。
今回は、共感体質ゆえに陥りやすい、
「距離感のミステリー」についてお話しします。
「ブチギレ」の脳内と、「微笑み」の外面
かつてのチームで、
「空気が読めない、やらかし系」の子を
担当していたときのことです。
私の中では、
何度も同じミスを繰り返すその子に対して、
限界までブチギレていました。
「いい加減にしてほしい」
「これ以上、現場の空気を壊さないで」
心の中ではテーブルを叩き、
拒絶のサインを全力で出していたつもりでした。
だからこそ、これ以上やらかさないよう、
感情を排して
「○○しないで」
「××だけして」と、
都度具体的な指示を出し続けていたのです。
ところが、
その様子を見ていた同期に言われた言葉に、
私は耳を疑いました。
「つむぎ、あの子に対して
めちゃくちゃ微笑んで柔らかかったよ。
無視しないでずっと付き合ってあげてて、
本当に仏だと思った」
……驚きました。
私にとっては、
まともに相手にするエネルギーすら惜しくて、
感情を消した結果の「無」の状態。
それが外側からは
「柔らかな微笑み」や「丁寧な神対応」に
自動変換されて届いていたのです。
「怒る」は愛の投資という誤算
私には、昔から持っている持論があります。
それは、
「本当に優しいのは、怒ってくれる怖い先輩だ」
ということです。
相手に対して怒ったり、
熱を持って指導したりするのは、
ものすごくエネルギーを使います。
それは「この人は言えば変わる」と相手を信じ、
自分のエネルギーを投下する
「愛の投資」に他なりません。
一方で、
私がその子に対して行っていた
「丁寧な指示出し」や「代行」は、
私の中での「期待の損切り」でした。
「何を言っても、根本的な理解は得られない」
「感情をぶつけるだけエネルギーの無駄だ」
そう判断した瞬間に、
私は教育という窓口を閉鎖し、
感情のコストカットをします。
ただただ、
仕事が止まらないよう、
作業指示を淡々と提供する。
私にとって、それは
「究極の見切り」を意味していました。
閉鎖した窓口が「パラダイス」に見える皮肉
しかし、ここに
境界線における最大のバグが潜んでいます。
境界線が薄く、誰かに甘えたい、
あるいは、
自分を全肯定してほしいタイプの人にとって、
私の「損切り後の環境」は、
この上なく居心地の良い
「パラダイス」になってしまうのです。
- 怒られない
→私はもう怒るエネルギーすら使いたくないだけ - 次に何をすればいいか明確に教えてくれる
→私はただ、やらかしてほしくないだけ - 困ったら代わりにやってくれる
→私は自分でやったほうが速いと思っているだけ
私が冷徹に「あきらめ」を選択して
故意に作ったはずのシステムでした。
しかし相手にとっては
「自分を否定せず、
手取り足取り守ってくれる聖域」として
誤受信されてしまう。
私が「無」になればなるほど、
相手は「この人こそが私の居場所だ」と確信し、
磁石のように吸い寄せられてくる──。
自ら掘った「損切りの溝」が、
相手にとっては
「快適な沼」になっていたのです。
自覚なき「沼」を卒業するために
「苦手な人に好かれる」のは、
あなたのガードが甘いからでも、
あなたが八方美人だからでもありません。
相手を損切りした結果、
皮肉にも
相手を惹きつけてしまっているだけなのです。
では、なぜ私たちの脳は、
損切りした相手にまで
「笑顔」を提供してしまうのでしょうか?
次回、その謎を解く鍵である
「自動同調」の呪いと、
共感体質の脳内システムについて、
詳しく紐解いていこうと思います。
#60 距離感ミステリー第2回
期待を「損切り」した瞬間に、相手にとっての「楽園」が完成する理由。