家の中には、長い時間をともに過ごしてきた“音”があります。
冷蔵庫の低い唸りも、そのひとつでした。
わたしはただ、動けないまま、光の向きを追いながら、
その音と季節を越えてきました。
しかし先日、その古い音が静かに薄れていき、
新しい明かりと機械の息づかいが家に入り込んだのです。
今日は、植物であるわたしが、とある“別れ”をそっと見送った日のことを、
少しだけお話しさせてください。
観葉植物のぼやき「古参の音が消えた日、わたしはただ光の向きを見ていました」
わたしはいつも通り、部屋の端で朝の光を受けていました。窓から射し込む光は冬の気配を帯び、ほんの少し冷たく、それでも柔らかい輪郭をしていました。
わたしがこの場所に来てから、ずっとそばには冷蔵庫さんがいました。低くて落ち着いた唸り声は、この家の“安心の音”のように思えたのです。
夏の熱気に負けそうな日も、冬の隙間風が足元を這うような日も、冷蔵庫さんの音だけは、変わらずそこにありました。
ときおり、不機嫌そうに唸ることもありましたが、あれはきっと暑がっていただけでしょう。わたしは動けないので、ただ葉を少し震わせて見守るだけでした。
ある日、いつもの音が少し短いことに気づきました。家主は気づかない程度の、ほんのわずかな違いです。
その日、部屋の空気はどこか忙しなく、家主が「ブラックフライデーか、年末セールかな…」と小さく呟いていました。わたしにはその言葉の意味まではわかりませんが、その声に混じった“決意のようなもの”で、なんとなく悟りました。
──あぁ、そろそろなのかもしれない、と。
次の週末、見知らぬ人の足音と、運び込まれる段ボールの気配。部屋の光がいつもと違う角度で揺れました。
古参の冷蔵庫さんがゆっくりと動かされていくと、わたしの葉がわずかに揺れました。風のせいにしてもいいのですが、その揺れは、たぶんわたしの気持ちのせいでしょう。
冷蔵庫さんは最後まで静かでした。わたしはただ、その背中を見送ることしかできませんでした。
ほどなくして、新しい冷蔵庫さんが運ばれてきました。若く、明るく、軽やかな音をしていました。
わたしは偏見を持ちません。家は変わり、人も物も入れ替わります。わたしはただ、その変化を受け入れ、静かに光を追うだけです。
新入りの光は少し白く、まっすぐで、それはそれで悪くないと、わたしは思いました。
今日も観葉植物は、静かに葉をひらきながら、次の光を待っている。

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