会った回数は、ほんの数回でした。
それでも、
最初から小さな違和感はありました。
説明できるほど明確ではないけれど、
「この人とは、
距離の取り方が合わないかもしれない」
そんな感覚です。
この時点では、
まだ判断は保留していました。
一方的な「仲良し認定」が始まる
こちらは、
特別に親しい関係だと思っていませんでした。
でも、相手の中では、
すでに「仲良し」だったようです。
その認定が行われた瞬間から、
距離感が一気に変わりました。
仲良しなのだから、
細かい確認はいらない。
遠慮はいらない。
そういう前提で、
関係が進められていく感覚がありました。
境界線ゼロの具体
違和感が、
はっきりした形を取るまで、
そう時間はかかりませんでした。
人のモノを、
断りなく使う。
勝手に食べる。
勝手に消費する。
何かを壊してしまっても、
悪びれる様子はありません。
「一言聞く」という発想が、
そもそも存在していないように見えました。
無神経、という言葉では、
少し足りない。
境界線そのものが、存在していない。
そんな印象でした。
相性が悪い、という言葉では
片づけきれない違和感でした。
話し合いが成立しないと判断した理由
この手の違和感は、
本来なら、
話してすり合わせることもできます。
でも私は、
その選択肢を取りませんでした。
なぜなら、
説明しても伝わらないタイプだと、
直感的に感じたからです。
こちらの「嫌だ」「困る」という感覚が、
相手の世界には存在しない。
そういう前提の相手と、
線の話をするのは、
かえって危険だと思いました。
正直なところ、
怖さもありました。
私が選んだのは「全力で逃げる」こと
だから私は、
説明しませんでした。
分かってもらおうともしませんでした。
関係を改善しようとも、
思いませんでした。
人生で初めて、
連絡先をブロックしました。
静かに、
でも確実に、
距離を断ちました。
結果として、
私は全力で逃げました。
なぜ「逃げ」が正解だったのか
境界線が存在しない人とは、
境界線を引くことができません。
共有が前提の関係には、
同意という概念がありません。
そういう相手に対して、
話し合いは、
必ずしも善ではありません。
説明や説得は、
関係をよくするどころか、
侵入を深めてしまうこともあります。
だからこの場合、
逃げることは、
敗北ではなく防御でした。
ブロックは、冷たさではない
私は、
相手を罰したかったわけではありません。
正しさを証明したかったわけでもありません。
ただ、
これ以上、自分の領域を壊されないために、
距離を断っただけです。
共感体質の人は、
「我慢すればなんとかなる」と、
思いがちです。
でも、
我慢で乗り切る必要のない関係も、
確かに存在します。
あのとき逃げた判断は、
今でも間違っていなかったと思っています。