会った回数は、ほんの数回でした。
それでも、
最初から小さな違和感はありました。
説明できるほど明確ではないけれど、
「この人とは、
距離の取り方が合わないかもしれない」
そんな感覚です。
この時点では、
まだ判断は保留していました。
一方的な「仲良し認定」が始まる
こちらは、
特別に親しい関係だと思っていませんでした。
でも、相手の中では、
すでに「仲良し」だったようです。
その認定が行われた瞬間から、
距離感が一気に変わりました。
仲良しなのだから、
細かい確認はいらない。
遠慮はいらない。
そういう前提で、
関係が進められていく感覚がありました。
境界線ゼロとは?
最初は「何か変だ」
という違和感でした。
まず気になったのは、
「境界線」がないことでした。
人の持ち物を、
まるで自分のもののように、
断りもなく使う。
冷蔵庫に入れておいたものを
勝手に食べる。
私の個人的なものを、
何の相談もなく消費してしまう。
さらに驚かされたのは、
何かを壊してしまったり、
失くしてしまっても、
悪びれた様子が一切なかったことです。
申し訳ないとか、
弁償しようとか、
そういう気持ちがないように見えました。
「一言、相手に確認を取る」
という発想が、
もともとないように感じられました。
当初は「無神経」という言葉で
理解しようと試みましたが、
それはあまりにも言葉足らずでした。
単に配慮に欠けている、
というレベルではない。
「境界線そのもの」が、
根本的に存在していない。
そんな印象を抱きました。
話し合いが成立しないと判断した理由
私と相手との間の感覚や価値観のズレは、
会話をすることで
理解し合うことができるはずです。
しかし私は、
その対話という選択肢を、
意図的に、
「取らない」と決断しました。
なぜなら、
私の違和感を言葉で説明したところで、
相手には決して「伝わらない」だろうと、
直感したからです。
それは単なる意見の相違ではなく、
世界観そのものが違う
という感覚でした。
相手は、文字通り
「自分の財布」と「他人の財布」の区別、
「自分の家」と「相手の家」の境界線が、
極めて曖昧でした。
悪気は一切ないのでしょう。
純粋な笑顔で、
「どうせ、同じでしょ?」
「いいでしょ?」
そう無邪気に断言します。
その無邪気さの中に、
私は、理性的な対話が全く通じない、
深い「恐怖」を感じたのです。
私が思う
「これは嫌だ」
「それは困る」という思い。
それ自体が、
相手の世界には「存在しない」のではないか
という確信にも似た感覚でした。
私とは全く違う前提を持つ相手に対して、
「ここからが私の領域」
「これ以上は踏み込まないで」
という境界線の話を持ち出すことは、
今以上に関係を悪化させると感じました。
私が選んだのは「全力で逃げる」こと
最終的には、
私の行動をすべて把握しようと
執着するようになりました。
それは友情や愛情ではなく、
支配に近いもの。
正直、怖いと思いました。
だから私は、
説明しませんでした。
人生で初めて、
連絡先をブロックしました。
職場を変え、住まいを変え、
物理的な距離を断ちました。
結果として、
私は全力で逃げました。
なぜ「逃げ」が正解だったのか
境界線が存在しない人とは、
境界線を引くことができません。
共有が前提の関係には、
同意という概念がありません。
そういう相手に対して、
話し合いは、
必ずしも善ではありません。
説明や説得は、
関係をよくするどころか、
侵入を深めてしまうこともあります。
だからこの場合、
逃げることは、
敗北ではなく防御でした。
ブロックは、冷たさではない
私は、
相手を罰したかったわけではありません。
正しさを証明したかったわけでもありません。
ただ、
これ以上、自分の領域を壊されないために、
距離を断っただけです。
共感体質の人は、
「我慢すればなんとかなる」と、
思いがちです。
でも、
我慢で乗り切る必要のない関係も、
確かに存在します。
あのとき逃げた判断は、
今でも間違っていなかったと思っています。