【制作ノート】記事100本を超えてわかった、私とAIライティングの距離感

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いつのまにか、記事が100本を超えていました。

数を数えながら書いていたわけではなく、
気づいたら、ここに辿り着いていた。

書けた日もあれば、
何度も途中で止まった日もあって、
それでも「書くこと」だけは、やめなかった。

この100本は、
AIがあったからこそ辿り着けた100本であり、
同時に、
自分の考え方やこだわりを手放さず、
積み重ねてきた記録でもあります。

正直に言うと、
「やり切った!」という達成感よりも、
「ああ、ここまで来たな」という、
静かな納得感の方が近いです。


AIがいたから、書き続けられた

私は、文章を書くことが嫌いではありません。
でも、軽やかに量産できるタイプでもありません。

考えすぎて止まったり、
言葉のニュアンスに迷って立ち止まったり、
「これでいいのかな」と自分にダメ出しをしたり。

そんな私にとって、
AIは「代わりに書いてくれる存在」ではなく、
考えるための相棒でした。

まずは、たたき台を出してもらう。
構成の候補を並べてもらう。
そこから先は、自分で調整する。

改行の間。
読みやすさ。
文章に流れる空気感。

そこは、必ず自分の手で整えてきました。

AIに助けられたこと

AIライティングについては、
これまで別の記事でも何度か書いてきましたが、
実際に助けられた場面は、かなり多いです。

  • 言葉のちょっとしたニュアンスの相談
  • 表現が硬すぎないかの確認
  • 誤字脱字のチェックが一瞬で終わること

特に、
「この言い回し、どう受け取られるかな?」
「この言葉、少し強すぎないかな?」

そんな微妙な相談を投げられる相手がいることは、
書き続ける上で、かなり大きかったです。

それはたぶん、
私の中にある「止まりやすさ」を、
否定せずに扱えるようになったからです。

考えが散らかったときは、
いったん外に出して並べ直す。

言葉が詰まったときは、
別の角度の言い方を見せてもらう。

そうやって、
書くことを“再開できる形”に戻してくれる。

その役割を、AIはずっと担ってくれていました。

AIを人間のように扱いすぎない、という学び

一方で、
AIの性能があまりにも良くて、
つい人間のように
接してしまいそうになることもありました。

でも、そこでズレが生じる。

AIはあくまで、
人間の模倣であり、思考の補助装置です。
感情を読む存在ではありません。

どこまでを任せて、
どこからを自分が引き受けるのか。

その境界線については、
別の記事で
AIの模倣と人間の想像の境界線
として、もう少し踏み込んで書きました。

だからこそ、

AIとの距離感は「感覚」ではなく、
自分で設計するものなんだと思います。

  • プロンプトを明確にすること
  • 何を求めているかを言葉にすること

この大切さも、書きながら学びました。

「わかってくれるだろう」ではなく、
「どうしてほしいかを伝える」。

これは、文章だけでなく、
自分の思考整理そのものにも、
つながっていた気がします。

それでも、この100本は「AIとともに書いた」

境界線を引いたうえで、
それでも私は、この100本を、

「AIとともに書いた」

そう思っています。

任せきりでもなく、
対立する存在でもなく、
隣に机を並べていた感覚。

感謝、というと少し照れくさいけれど、
それに近い気持ちは、確かにあります。

次の100本へ

次の100本に、
明確な目標は立てていません。

ただ、

  • 無理をしないこと
  • 書くことを嫌いにならないこと
  • ゆるっと続けること

それだけは、これからも大切にしたい。

AIとも、
これまで通り、ほどよい距離感で。

共闘、というより、伴走。

そんな関係で、
また次の文章を書いていけたらと思います。